中学受験社会の歴史「大正時代」の重点ポイントは「経済」。
世界の出来事と日本の経済の動きに注目しましょう。
大正時代といえば15年と比較的短い時代ですが、国内外ともに大きな出来事のある重要な時代といえます。そのような大きな出来事があるということは、覚えることが多いとも言えます。そのため大正時代は、苦手意識を持たれやすい時代です。戦争が非常に多いことで、出てくる国も増えるため、中身が詰まった時代になります。そのため覚えるのが大変で難しい時代といえるでしょう。
世界的に大きな戦争があったり、さらに日本国内でも国民が権利を主張したり、政党内閣ができたりと、大正時代は活発な動きがあった時代です。たくさんの動きがあったからこそ、1つひとつの時代の流れをつかむことで、知識が頭に入りやすくなります。
そこでこの記事では、大正時代の流れをつかみやすくするために、全体の流れをまとめました。第一次世界大戦から大正デモクラシー、大正時代の文化についてから第二次世界大戦までをご紹介します。
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一つ前の単元である「明治時代」についておさらいしたい人はこちらの記事を参考にしてください。
大正時代の重点ポイントをまとめると…
大正時代の重点ポイント
- 第一次世界大戦
第一次世界大戦の原因
第一次世界大戦の終結 - 大正デモクラシー
第一次護憲運動
普通選挙法
平塚らいてう - 世界恐慌
ニューディール政策
ファシズム
世界恐慌が日本に与えた影響 - 大正時代の文化
大正時代の生活
教育と娯楽の普及 - 第二次世界大戦へ
満州事変
日中戦争
三国同盟
太平洋戦争
国家総動員法
大正時代とは
大正時代は、1912年から1926年までの15年間です。この時代は「大正デモクラシー」といわれる民主主義を求める思想や、運動などが加熱した時代でもあります。その結果、選挙制度が整いました。1925年には、満25歳以上の男子に選挙権が与えられるようになったのです。
都市文化や、食文化、芸能文化など様々な文化にも変化がありました。スポーツの開始やマスコミの発達、自動車の登場なども大正時代での出来事です。
また、戦争の時代でもあり多くの戦争が行われました。戦争については、歴史を学ぶ上で避けることができません。我々のこれからの生活を守るためにも、正しく理解をしておく必要があります。
第一次世界大戦
大正時代でまずおさえないといけないのが第一次世界大戦です。第一次世界大戦は、1914年7月28日から1918年11月11日まで、4年3ヶ月続きました。ここでは、第一次世界大戦がどのような戦争だったのか、そして戦後にどのような社会情勢になっていくのかという流れを説明していきます。
第一次世界大戦の原因
19世紀末から20世紀初期にかけて、勢いのあった国はドイツ・イギリス・フランスが中心でした。それと並行して、アメリカとロシアが成長していました。そこで、ドイツは、イタリア、オーストリアと三国同盟を結びます。それに対し、イギリス、フランス、ロシアは三国協商を結び、それぞれ対抗しようとしたのです。
植民地を広げるため、どちらもしのぎを削ります。トルコの勢力が衰えるとロシアが南下を始めますが、オーストリアがこの動きを抑えようとしました。
この動きの中、1914年にオーストリアの皇太子が、セルビア人によって暗殺されます。これがサラエボ事件です。これがきっかけとなり、ドイツ・オーストリア・トルコなどの同盟国と、イギリス・フランス・ロシアなどの連合国がぶつかります。そして、ヨーロッパを舞台に第一次世界大戦に発展したのです。
1917年には、アメリカが連合国側に参戦し、最終的に世界中を巻き込んだ戦争となったのです。日本は連合国側で三選をし、ドイツに宣戦布告、ドイツ領土を占領していったのです。
第一次世界大戦の終結
第一次世界大戦は長期化しました。新兵器として、毒ガス、潜水艦や戦車や飛行機といった兵器も使われたことで、戦争での被害は甚大なものになっていきました。
1917年には、長引く戦争で民衆の不満が高まります。その結果、ソビエトが設立されました。レーニンは「ロシア革命」をおこし、世界初の社会主義政権が誕生したのです。
ロシア革命を恐れた列強は干渉戦争を起こし、日本・アメリカ・イギリスなどはシベリアへ出兵しました。これが「シベリア出兵」です。残念ながら、犠牲のわりにシベリア出兵での成果はありませんでした。
戦争による好景気で、物価が上昇し、戦争の影響を受けた米は価格が上昇。シベリア出兵のための米の買占めもおきました。1918年には富山県で主婦たちが米の安売りを求めて、暴動がおきたのです。これをきっかけに全国でも米の安売りを求める暴動が発生。これら一連の米に関する騒動を「米騒動」といいます。
最終的には、ドイツが降伏したことで、第一次世界大戦は終結します。1919年にフランスの首都パリで開かれた、パリ講和会議で「ベルサイユ条約」が結ばれました。敗戦国のドイツと連合国軍の条約で、ドイツは植民地を失い巨額の賠償金を払うなどドイツにとって極めて過酷なものでした。
日本はドイツが持っていた南洋諸島を手に入れました。第一次世界大戦の結果、ロシアとドイツとオーストリアとトルコでは帝国が倒され、共和制国家に変わりました。
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大正デモクラシー
大正デモクラシーとは、1912年から1926年まで続いたさまざまな自由主義、民主主義の考えや運動のことをいいます。デモクラシーとは人民が主権を持ち、人民が行使する考え方のことです。
1920年には安定して継続的に、仕事ができるように求めた労働者たちの集会「メーデー」が行われました。また1922年には「全国水平社」という、部落差別に苦しんでいた人々が結成した組織が誕生し、差別をなくす運動をおこないました。1925年に暴力的な革命運動を取り締まる法律として「治安維持法」が制定されました。
第一次護憲運動
桂太郎による3度目の内閣は、議会を無視することなどがあり、憲法に基づく政治を守ろうとする運動が民衆からおこります。これを「第一次護憲運動」といいます。地方でも、民衆運動が日本各地で繰り広げられたことで、桂内閣はわずか50日あまりで退陣。憲法に基づく政治を求める運動は、新聞や、知識人の間で広がりをみせていきました。
その後、第一次世界大戦やロシア革命の影響を受け、自由主義への風潮は高まります。それにより、社会活動が活発化。デモクラシーの思想が広まることで、普通選挙法の成立に向けての動きが進んでいきます。
普通選挙法
デモクラシーが高まり世界の動きが進化する中、労働運動や民衆運動などの社会運動が広がります。労働争議では、友愛会が労働者の地位向上を目指して結成されました。これが労働組合の全国組織として発展したのです。
ロシア革命により、共産主義に関心が集まったことで日本共産党が結成されます。1925年には普通選挙法が成立し、納税額での制限を廃止して満25歳以上の男子に選挙権が与えられました。また、満20歳以上の男女に選挙権が与えられたのは、戦後となります。
平塚らいてう
女性運動では平塚らいてう(ひらつからいちょう)が青鞜社を結成し、女性差別からの解放を訴えました。新しい女性の姿や、活動を唱えたのです。さらには女性の政治活動や社会活動の自由を求める新婦人教会を設立しています。
世界恐慌
第一次世界大戦後アメリカの景気は良くなり、世界経済の国際的なリーダーとなります。しかし1929年ニューヨーク株式市場の株価が暴落し、市民が預金を引き出そうと銀行に殺到したのです。これがきっかけになり、銀行や工場が倒産し農産物の物価も下落しました。経済の混乱の影響は、世界中に広がりました。これが「世界恐慌」です。
ニューディール政策
世界恐慌が続く混乱の中、イギリスやフランスは植民地など関係の深い地域を囲いこむ『ブロック経済』をとります。囲い込んだ中で自給自足の経済を進めることで、その地域内での経済活動を活発化したのです。
一方、アメリカでは1933年にルーズベルト大統領が「ニューディール政策」で経済を立て直します。ニューディール政策とは公共事業の拡大や、農工業の生産調整を行うことで、労働組合や失業者の保護して景気回復をはかる政策です。
ファシズム
イタリアでムッソリーニが政権を握り、独裁政治を行いました。1936年エチオピアを侵略して合併。ドイツではヒトラー率いるナチスが国民の不安をあおることで政権を握り、自由主義や民主主義を否定した全体主義国家を作りあげたのです。これらを「ファシズム」と呼びます。民主主義や自由主義を否定し、国民から自由を奪うことで独裁的に政治を進めたのです。
世界恐慌が日本に与えた影響
世界恐慌は日本経済にも大きな影響を与えています。農村では農産物の価格が暴落したため、失業者が大勢出てしまいました。北海道・東北地方ではききんに襲われ、深刻な不況に国内全体が悩まされることになりました。
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大正時代の文化
大正時代には、大きな変化がたくさんあり、我々の現代の生活に近いものに変わっています。具体的には以下のようなものがあります。
大正時代の生活
大正時代の生活は、大幅に我々の現代の生活に近づきました。都市部では、水道・ガス・電気といったライフラインが普及し、さらには通りに電灯が配置され、夜道も真っ暗ではなくなりました。このような生活水準あがった背景には、工業の発展があります。専門の知識を持った労働者の必要性が出てきたことから、会社勤めをするサラリーマンが登場したのもこの頃です。都市部だけでは居住スペースが足りず、郊外も開発されます。郊外には文化住宅が多く建設され、サラリーマン家庭が住んでいました。
郊外に生活する人が出てくると、都市と郊外を繋ぐ交通手段が必要です。そこで、電車や鉄道が使われるようになり、バスも普及しました。東京では地下鉄も開通しています。食事では、パンを食べることも広がったのも大正時代です。洋食屋が普及し、カレーライスやコロッケなどの洋食やキャラメルなどの洋菓子も普及しました。
洋服は先に男性を中心に洋服が普及していましたが、大正時代になると女性の洋服も普及してきました。また、バスガールや女学校の制服にも洋服が取り入れられました。また、バスガールや女性アナウンサーなどの「職業婦人」が現れます。役所などのサラリーマンの制服を通じて背広が普及し始めたのも、大正時代です。
教育と娯楽の普及
義務教育も、大正時代には、ほぼ完全に普及しました。中学校や女学校への進学者も増えています。その結果、新聞や雑誌に興味関心を持つ人が増えます。発行部数100万部を超える新聞も登場したほどです。
文芸なども、富裕層だけが楽しめていたものから、様々な人達が気軽に親しめる大衆的なものへと変わりました。活字本を読める人が増え、価格の安い1冊1円の「円本」が流行したためです。さらには、「ラジオ放送」も、1925年に東京・大阪で始まり広がっていきました。
映画や、レコードが流行し始めます。アメリカの映画も劇場公開されました。さらに、野球などのスポーツも流行し、テニスも知られました。映画などを通して、アメリカ的な文化が少しずつ日本に流入してきます。アメリカの大衆娯楽的文化を「モダン」と言いました。
第二次世界大戦へ
ここからは、第二次世界大戦までの流れを説明していきます。満州事変や日中戦争、国家総動員法といったキーワードが大切です。
満州事変
1928年、中国では蔣介石(しょうかいせき)の中国国民党が政権を樹立し、中国を統一。日本が支配する満州を返還する声が、中国国内で高まります。満州を中国から分離しようとしていた日本の軍部は、柳条湖(りゅうじょうこ)で南満州鉄道の線路を爆破しました。これを国民革命軍(中国軍)のしわざとし、軍事行動に出て満州主要部を占領しました。これが「満州事変」です。
日中戦争
満州主要部を占領し、清の最後の帝王・溥儀(ふぎ)を首相に立て、満州国の建国を宣言します。しかし国際連盟は満州国を認めませんでした。さらには日本軍兵士の撤退を勧告したのです。これに反発した日本は国際連盟を脱退します。国際的に自立しました。
満州を支配した日本は中国北部に進出します。1937年に北京郊外の盧溝橋(ろきょうこう)で中国軍と衝突します。これにより、「日中戦争」が始まったのです。
この戦争は、日華事変ともよばれており、戦争でなく事変と称されたのは盧溝橋事件後に本格的な戦闘が行われても、太平洋戦争が勃発するまで両国は宣戦布告を行わなかったからといわれている。
三国同盟
日本軍は南京を占領し南京政府を作ります。しかし中国はアメリカやイギリスの支援を受けて必死に抵抗しました。1938年に近衛文麿(このえふみまろ)内閣は国家総動員法を公布して、戦争のために国民活動を動員できる権限を持ったのです。
同じころ、ドイツは東方へ侵略を進めます。ソ連と独ソ不可侵条約を結んでポーランドに侵攻しました。しかしポーランドはイギリスやフランスと条約を結んでいたので、ドイツに宣戦布告をおこない「第二次世界大戦」が始まりました。
ドイツはデンマーク、オランダ、ベルギーなどヨーロッパ北部と西部を攻撃し、さらにパリを占拠しフランスを降伏させます。これをみたイタリアはドイツ側にたって戦争に参加。1940年には、ドイツ、イタリア、日本で日独伊三国同盟を結んで、協力体制を強化したのです。
太平洋戦争
太平洋戦争とは、第二次世界大戦の局面の一つで、日本などの枢軸国とアメリカ、イギリス、中国などの連合国の間で勃発した戦争です。日本は東南アジアにも進出して、イギリスやフランスの植民地の資源を確保しようとします。侵略的な日本の行動に、日米関係は悪化します。東条英機内閣のときにアメリカとの戦争を決定しました。
1941年、日本軍がハワイの真珠湾を攻撃したのを合図に、「太平洋戦争」が勃発しまし
た。三国同盟を組んでいたドイツとイタリアもアメリカに宣戦布告し、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の連合国との間で世界を巻き込んだ戦いが始まったのです。1945年、連合国が勝利し、日本はその後7年間に亘ってGHQに占領されることとなりました。
国家総動員法
国家総動員法とは、1938年に日本で制定された法律です。国の産業、経済、国民生活などすべてにわたって、戦争に動員できる権限のことを言います。
大財閥を中心とした経済界はこの法案に対し、法律によらない私権の制限であり、社会主義的である等の批判をもっていました。経済界に近い立場の民政党・政友会など既成政党も、政府に対する広範な授権は大日本帝国憲法において帝国議会に保障された立法協賛権の剥奪につながる恐れがあったのか、憲法違反であるとして反対の空気が強くありました。
しかし、議会審議においては政府や陸軍に押し切られる形で可決成立したのです。この制定以来、政府は議会の了承を得なくても「勅令(ちょくれい)」で労働力や物資を調達できるようになりました。
まとめ
大正時代の特徴や流れをご紹介してきました。大正時代はさまざまな戦争がおこりました。新兵器が使われた第一次世界大戦という、歴史の知識には欠かせない大戦がおきています。さらには文化が大きく変化した時代でもあるのです。そんな大正時代の重要ポイントは下記になります。
大正時代の重点ポイント
- 第一次世界大戦
第一次世界大戦の原因
第一次世界大戦の終結 - 大正デモクラシー
第一次護憲運動
普通選挙法
平塚らいてう - 世界恐慌
ニューディール政策
ファシズム
世界恐慌が日本に与えた影響 - 大正時代の文化
大正時代の生活
教育と娯楽の普及 - 第二次世界大戦へ
満州事変
日中戦争
三国同盟
太平洋戦争
国家総動員法
大正時代は15年間と短い時代ですが、覚えることがたくさんある時代です。大正時代にはたくさんのことが起きたので、おこった出来事を流れに沿って覚えることで、覚えやすくなるでしょう。
中学受験は算数や国語ではなく、「社会」の出来で合否が決まります!
そのため、第一志望に合格したいのであれば、歴史を家庭学習でまず最初に固めるのが断トツの近道です!
● 算数の1点と社会の1点は、入試総合点で考えれば同じ1点
● 歴史は流れ・ポイントを効率良く学習すれば、すぐに得意教科にできます!
【たった30日で歴史の偏差値を上げたい方】
・歴史のポイント、入試に出る所だけを最速でCD学習したい受験生
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中学受験の歴史「大正時代」の次の単元は「昭和時代」です。