中学受験 歴史 古墳時代の重点ポイントまとめ

中学受験 歴史 古墳時代

近畿地方を中心に今もなお残る古墳の数々が建造されたのが「古墳時代」です。

古墳を間近で見たことがある人はそのスケールの大きさ、迫力、精密さに圧倒されてしまったことがあるのではないでしょうか。

同時に、当時は道具も機械もほとんどないような環境下であって、それでもなお現代まで残るような遺跡を人力で建てたことを想像すると感服せずにはいられません。

古墳時代にはそのように古墳の存在感に圧倒されてしまいますが、実は文字や宗教が大陸から伝わるなど、文化的な側面で見ても非常に進歩した時代でもありました。

日本史の流れで見た場合にも稲作が伝わってようやく集団生活が始まった弥生時代から、具体的な歴史年号や人物名とともに語られる飛鳥時代以降をつなぐ重要な単元でもあります。

この記事では、中学受験の歴史「古墳時代」の重点ポイントについてまとめているので、これから受験勉強を開始する中学受験生は正しく知識を覚えて、古墳時代の概要についてしっかりと頭に入れてください。

一つ前の単元である「弥生時代」についておさらいしたい人はこちらの記事を参考にしてください。

古墳時代の重点ポイントをまとめると…

古墳時代のポイント

  1. 古墳時代の成立年代
    ・古墳時代の始まり…3世紀後半ごろ
    ・古墳時代の終わり…7世紀後半ごろ
  2. 大和政権とは
    ・国土統一は4世紀中ごろ
    ・大王と氏姓制度で統治する
    ・朝鮮半島の高句麗や新羅に進出
    ・宋に倭の五王が使者を送る
  3. 渡来人が伝えた大陸文化
    ・漢字(文字)・儒教
    ・仏教
    ・養蚕技術や土木農業技術
    ・須恵器
  4. 古墳時代の遺跡
    ・前方後円墳の「大仙古墳」
    ・埴輪と副葬品
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目次

古墳時代はいつから始まったのか

古墳時代はいつからいつまで

紀元前4世紀ごろから始まった弥生時代では、稲作が広がったことで人々の間に「ムラ」、そして「クニ」という集団生活の意識が生まれました。やがてそれらは、人々の間に身分の差を作り出し、人を支配する側と支配される側という二つの関係となって日本史を進めていくこととなります。

古墳時代の始まり

古墳時代は弥生時代が終了した後、3世紀後半から始まったとされています。

この時代には現代でも残るような大規模な古墳がたくさん作られており、そのことから時代区分を古墳時代として名前が付けられています。

その始まりは、もともと各地に生まれていた国どうしが少しずつ吸収・統合されて大きくなっていき、豪族(ごうぞく)として力を持つようになり、やがてそれらを統合する国家(こっか)が生まれたこととも関係しています。

つまり、これまでの人々では到底つくることができなかったような建造物を、人を使役する(自分のために働かせるもの)者が生まれたことで、長い年月と多くの労働力を費やして建造することができるようになったことを意味しています。

古墳時代の終わり

3世紀なかば過ぎから始まった古墳時代は、その後7世紀末ごろまでの約400年間続きます。

古墳時代には前方後円墳という日本独自の古墳が作られますが、7世紀ごろにはその前方後円墳が作られなくなり、ほかのタイプの古墳が作り続けられます。このように、古墳時代の年代を細かく見るときには、その当時に作られた古墳のタイプを見極めることも重要です。

なお、中学受験対策で考えたときには、古墳時代の成立は3世紀後半から7世紀後半だったということだけ覚えておけば十分です。古墳については、これ以降に詳しく解説していきます。

中学受験のポイント

  • 古墳時代の始まり…3世紀後半ごろ
  • 古墳時代の終わり…7世紀後半ごろ

古墳時代の中心「大和政権」の誕生

古墳時代と大和政権

古墳時代を象徴する存在が、現在の奈良盆地を中心とするあたりに誕生した「大和政権(やまとせいけん)」、または「大和朝廷(やまとちょうてい)」です。近畿地方の有力な豪族が集まってできた大和政権は7世紀ごろから生まれた天皇の遠い祖先ともされています。

大和政権は天皇を中心としており、その天皇のことを「大王(だいおう,おおきみ)」と呼んでいます。大王を中心とした大和政権は、話し合いや武力によって各地の小国を従えていき、4世紀の中ごろまでには日本国土の大半を統一したと言われています。

この大王を中心とした大和政権について、覚えておくべきことは次の二つです。

  1. 氏姓制度の開始
  2. 朝鮮半島への進出

①氏姓制度の開始

氏姓制度(しせいせいど)とは、身分制度のようなものです。

身分の高い豪族たちは「氏(うじ)」という共通の祖先を持つ同族でグループをつくり、同じ氏として働いていました。

有名なのが、大和朝廷のお金・財政を担当した蘇我氏(そがし)、兵士・武器といった軍事を担当した大伴氏、神のお祭りなどを担当した中臣氏などです。

氏のなかには、同族以外にも部民(べみん)とよばれる農民や技術民、奴婢(ぬひ)という身分の低いめし使いの男女などもいました。

「姓(かばね)」とは、その氏のグループのリーダーにつける身分のことです。「臣」や「連」「君」など10種類あり、姓を持つものは朝廷につかえて働きます。

とくに、「臣」や「連」という姓の身分の物が中央の政治に参加し、有名なところでは「大臣の蘇我氏」「大連の物部氏」などの人物がいます。

このようにして、大和政権では中央政治を担う人々が存在した一方で、地方の豪族や有力者には「国造(くにのみやつこ)」や「県主(あがたぬし)」という役職をあたえて地方政治に当たらせて、うまく国家を治めていました。

②朝鮮半島への進出

日本での力を確固たるものにした大和政権は、4世紀なかばに朝鮮半島の南部に侵攻します。大陸へと進行した理由の一つに、大和政権が鉄を求めていたとされています。

4世紀初めに朝鮮半島の北部には高句麗(こうくり)、南部には新羅(しらぎ)と百済(くだら)という国ができていました。大和政権はこの新羅や高句麗と戦っていたことが記録として残されています。

この記録が残されているのが、現代の中国にある好太王(こうたいおう,別名「広開土王(こうかいどおう)」)の碑(ひ)です。好太王とは当時の高句麗の王で、その王が治めた歴史についての記録が碑に残されており、当時の倭(日本)の軍隊を打ち破ったことも書かれています。なお、朝鮮半島は7世紀に新羅が半島を統一することとなります。

また、大和政権の朝鮮半島進出には、中国とも深い関係があります。

当時の中国の国「宋(そう)」の歴史書である「宋書(そうじょ)」倭国伝には、5世紀に大和政権から「倭の五王」という5人の王が、それぞれの治世のときに使者を送ってきたことが書かれています。

この倭の五王は「讃(さん)」「珍(ちん)」「済(せい)」「興(こう)」「武(ぶ)」という中国風の名前を持っており、当時の宋の皇帝に使者を通してみつぎ物をおくったとされています。

この5人の王が遠く離れた宋にわざわざ使者を送った背景には、当時の朝鮮半島への進出を大国である宋にも支援してもらいたかった、後ろだてをもらいたかったという下心があるのです。

中学受験のポイント

  • 大和政権が日本を統一…4世紀中ごろ
  • 大和政権は大王と氏姓制度で統治する
  • 朝鮮半島の高句麗や新羅に進出
  • 宋に倭の五王が使者を送る

古墳時代の生活と渡来人

古墳時代の生活と渡来人

古墳時代の人々の生活を語るうえで重要なのが「渡来人(とらいじん)」です。

渡来人とは、4世紀から6世紀にかけて大陸から日本に渡ってきた人々のことで、様々な進んだ文化を日本にもたらしたと言われています。

とくに、4世紀前半に起きた中国漢王朝の滅亡や朝鮮半島の変動によって、多くの学者や技術者が日本に渡ってきており、日本もまた朝廷や豪族が彼らを厚く保護しました。渡来人は氏姓制度の氏ももらい、その子孫も大いに活躍したと考えられています。

渡来人がもたらした大陸文化

それでは、渡来人によってどのような知識や技術、文化が日本にもたらされたのかを見ていきたいと思います。中学受験で覚えてきたい大陸文化は次の4つです。

  1. 文字(漢字)・儒教
  2. 仏教
  3. 土木・農業・養蚕
  4. 須恵器(土器)

①渡来人から伝わったもの「文字・儒教」

まず、5世紀初めころの応神天皇のときに、侵略に成功した百済から漢字で書かれた「論語(ろんご)」が伝わったとされています。日本に初めて文字がもたらされた瞬間です。

このときに伝わった論語というのは、紀元前5世紀から4世紀に生きた中国の孔子(こうし)が教祖となる儒教(じゅきょう)の基本となる書物のことです。儒教は人を思いやることや学問にはげむことの大切さを説いた宗教です。

②渡来人から伝わったもの「仏教」

その後、日本でも信仰している人の多い仏教が552年に百済から伝わったとされています。伝来した時代は古墳時代よりも後の飛鳥時代であり、蘇我氏が仏教をあつく信仰して勢力をのばしたと言われています。

当時の朝廷で実力者であった物部氏は蘇我氏とくらべて保守的であったことから、仏教を取り入れることに反対したとされています。

③渡来人から伝わったもの「土木・農業・養蚕技術」

儒教や仏教は日本の人々の心の間で広く信仰されることとなりますが、宗教だけでなく生活そのものを飛躍的に向上させる知識や技術も渡来人によってもたらされます。

代表的なのは、建築や造船などの土木技術、農業技術、鉄器や馬具の制作技術などですが、なかでも虫の蚕(かいこ)を育てて糸をつむぎ出す養蚕(ようさん)技術がもたらされたことは覚えるようにしておきましょう。

養蚕、そして機織りの技術が伝来したことで、日本でも糸や布を加工したものが容易に製作できるようになり、生活レベルが大きく向上しました。

④渡来人から伝わったもの「須恵器」

渡来人がもたらしたもののなかで、よくテストや入試に出るのが「須恵器(すえき)」とよばれる土器です。

縄文土器や弥生土器のように、これまでの時代区分ではいくつかの土器が登場しましたが、それらをさらにじょうぶで使いやすくしたものがこの須恵器です。

須恵器は色が青灰色をしていてとてもきれいで、約1100度以上の高温で焼いてつくられるため、縄文土器や弥生土器よりもかたい性質を持っています(縄文土器が約500度、弥生土器が約1000度の温度で焼かれている)。

須恵器は新羅から主に伝わったとされ、主にまつりや副葬品に用いられてとされています。

このように、渡来人から多くの技術や知識を取り入れたことで、古墳時代の日本はさらに文化・生活レベルを向上させていきます。

中学受験のポイント

渡来人が伝えた大陸文化

  • 漢字(文字)・儒教
  • 仏教
  • 養蚕技術や土木農業技術
  • 須恵器

古墳時代の遺跡と埴輪

大仙古墳と埴輪

3世紀後半から、現在の奈良県を中心とする近畿地方のさまざまなところで古墳が作られるようになります。

古墳とは、当時の王や豪族といった権力者のお墓で、その大きさや形は時代によってもさまざまなものが見られます。

たとえば、上から見ると円形ですが、横から見るとおわんのように丸く盛られた円墳(えんぷん)、四角形の方墳(ほうふん)、円墳と方墳が組み合わさった上円下方墳(じょうえんかほうふん)、そして最も有名なのが日本独特の形をした前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)です。

前方後円墳とはその名のとおり、円墳と方墳が組み合わさったカギ穴のような形をしているのが特徴で、サイズも大きいものが多いです。

有名なのが大阪の堺市にある大仙古墳(だいせんこふん)で、長さ約480メートル、高さ約35メートル、幅約305メートルで、ピラミッドと並ぶ世界最大級の古墳として知られています。

古墳の周りには三重の堀がめぐらされており、堀には水が溜まり、森のように植物が生い茂っていることから、近くで見るとその全容がまったくつかめないです。上空から見下ろしてしか、カギ穴のような特徴的な全体像も見ることができません。

もともとは「仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)」と呼ばれ、仁徳天皇のお墓と考えられていましたが、古墳は皇室の管轄であることから調査することが認められておらず、今では地名にちなんだ大仙古墳と呼ぶのが一般的です。中学受験においても大仙古墳と覚えるようにしましょう。

ちなみに大仙古墳はその土台となる土を盛るだけでも、毎日1,000人の労働者が働き、それだけで4年間も必要だったと考えられています。そこからも、当時の天皇そして朝廷が国家として強大な力を持っていたことが想像できます。

古墳から見つかった埴輪と副葬品

古墳は天皇のお墓であったことから、当時から現代まで立ち入ることが禁じられ、それによって当時の人々の生活を知るうえでも貴重な文化財が多く残されています。

古墳から出土されたもので代表的なものが埴輪(はにわ)です。

埴輪は兵士や馬、家などの形をした土でできた焼き物のことで、古墳の周りにたくさん置かれていました。これは、昔は王が死んだときには生前に仕えていためし使いや奴隷も一緒に生き埋めにされることが多かったのですが、それをやめて埴輪を代わりに王のそばに置いたものだと考えられています。

埴輪のほかにも、副葬品(ふくそうひん)とよばれる青銅の剣や鏡、武具や馬具なども一緒にうめられることがあります。

この副葬品によって、当時の天皇や豪族の権力がどれほどであったのか、また当時の人々の生活の様子も知ることが可能になります。

中学受験のポイント

  • 前方後円墳の「大仙古墳」
  • 埴輪と副葬品

古墳時代のまとめ

それでは最後に古墳時代の単元の重点ポイントのまとめをしていきます。

古墳時代のまとめとして、次の4つの項目をなにも見ずともキーワードや内容を言えるかどうか確認してみてください。

  1. 古墳時代の成立年代
  2. 大和政権とは
  3. 渡来人が伝えた大陸文化
  4. 古墳時代の遺跡

答えられない場合は、もう一度それぞれの見出しに戻って読み返して要点を押さえましょう。中学受験の重要ポイントは次のようになります。

古墳時代のまとめ

  1. 古墳時代の成立年代
    ・古墳時代の始まり…3世紀後半ごろ
    ・古墳時代の終わり…7世紀後半ごろ
  2. 大和政権とは
    ・国土統一は4世紀中ごろ
    ・大王と氏姓制度で統治する
    ・朝鮮半島の高句麗や新羅に進出
    ・宋に倭の五王が使者を送る
  3. 渡来人が伝えた大陸文化
    ・漢字(文字)・儒教
    ・仏教
    ・養蚕技術や土木農業技術
    ・須恵器
  4. 古墳時代の遺跡
    ・前方後円墳の「大仙古墳」
    ・埴輪と副葬品

古墳という壮観な遺跡が残された時代でもあり、文字や宗教といった人々の生活・文化を支える上で重要なものを取り入れた時代でもある古墳時代。

もしも時間がゆるすのであれば、中学受験生は実際に現存する古墳を見学してみるのもいいでしょう。教科書や問題集からは得ることができない様々な知識、体験を古墳から学び取ることができるはずです。

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中学受験は算数や国語ではなく、「社会」の出来で合否が決まります!
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中学受験の歴史「古墳時代」の次の単元は「飛鳥時代」です。

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