日本史における文明そして文化の起こりといえば「縄文時代」です。
原人が人類の中心であった数百年前の旧石器時代とは違って、私たち人類の直接の祖先がこの日本という場所で暮らしていたという事実をはっきりと認識できるようになるのが縄文時代、そして縄文文化だといえます。
教科書の短い説明文や数枚の写真といったわずかな情報が、かえって中学受験を控える小学生たちの想像力をかきたて、遠いはるか昔に生きたの人々の暮らしをありありと実感させるのではないでしょうか。
また、中学受験生の保護者の方にとっても、縄文時代と弥生時代のセットは中学校歴史の初めての中間テストでも頻出単元であることから、縄文時代と聞いて思わず学生時代を思い出す人も多いかもしれません。
中学受験対策として考えた場合にも、旧石器時代と縄文時代、縄文文化と弥生文化のセットは対比させながら覚える言葉も多く、一つのズレが時代や文化の誤った認識にもつながりかねないことから正確な理解が求められます。
この記事では、中学受験の歴史「縄文時代」の重点ポイントについてまとめているので、これから受験勉強を開始する中学受験生や復習をしたい中学受験生は正しく知識を覚えて、これからの学習へとつなげていきましょう。
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一つ前の単元である「旧石器時代」についておさらいしたい人はこちらの記事を参考にしてください。
縄文時代の重点ポイントをまとめると…
縄文時代のポイント
- 縄文時代の道具
・打製石器と磨製石器
・縄文土器…縄目で、黒褐色で、厚くてもろい - 縄文時代の生活
・竪穴式住居
・狩猟や採集中心 - 縄文時代の社会
・貧富の差がなく、みな平等
・土偶や屈葬…信仰心がある - 縄文時代の遺跡
・大森貝塚とモース
・三内丸山遺跡
縄文時代の特徴(年代、気温、地形など)
縄文時代はいつ頃から始まっていつ頃まで続いたのでしょうか。その年代は諸説あることから、教科書でははっきりと書かれていない場合が多いです。また同様に、中学入試においても上記の理由から縄文時代の年代を答える問題はまず出されないといっていいでしょう。
しかし、旧石器時代や弥生時代との関係で、縄文時代の成立年代をある程度の数値で知っておくことの意味は大きいです。頭のなかでそれぞれの時代区分の年表をイメージできるようになると歴史に強くなれるので、縄文時代の成立年代についてもなるべく理解するようにしてください。
縄文時代の成立年代は今から何年前?
まず、旧石器時代と縄文時代はどのような関係にあるかというと、縄文時代は旧石器時代よりも一つ進んだ時代、つまり新石器時代(または中石器時代)に相当すると定義されています。
前単元の復習もかねて説明すると、旧石器時代とは土器を持たない無土器時代であり、打製石器を道具として人類が使っていた時代のことです。そして、約70~60万年頃に生存していたとされるペキン原人が打製石器を使用していたことが確認されているように、旧石器時代は原人が存在した数百年前から約1万年前頃まで続いていたとされています。
縄文時代はその土器を持たない時代から、この後に説明する日本史上初となる土器「縄文土器」、そして打製石器よりもはるかに優れた「磨製石器」を発明したことで、打製石器に頼っていた旧石器時代から生活をより豊かにし、新石器時代へと文明を押し上げたのです。
よって、縄文時代の成立した年代は旧石器時代が終わる約1万年前頃だと考えられますが、地質学や考古学、文化人類学などさまざまな学問によって考え方、解釈が異なることは頭の片隅にいれておいてください。とりあえずここでは、およそ1万年前頃の紀元前8,000年前には縄文時代は成立したと考えてもらえればと思います。
縄文時代が終わったのはいつ頃?
ちなみに、縄文時代が終了したのは紀元前1,000年前頃、つまりは今から約3,000年前頃とされています。もちろんこれについても研究によって年代は変わってきますし、日本列島も縦に長く、地域によって差が大きかったことから一概にはいえません。
また、縄文時代の次は弥生時代がくると学習しますが、実は縄文時代と弥生時代の間にもほかにいくつかの文化が存在します。ですので、縄文時代が終わってすぐに弥生時代が始まったわけではないことも覚えておけば、それぞれの時代の成立年代に空白があることに気づいても戸惑わないですむでしょう。
縄文時代の気候の変化
縄文時代が成立する前の約2万年前頃に、最後の氷河期が終わったとされています。それから少しずつ地球全体の気温が上昇し、旧石器時代の日本は大陸と地続きでしたが、大気が温められて雨が多く降るようになったことで、海水面が上昇し、完全な島国としての日本列島が出来上がります。
縄文時代はまさに地球全体の温暖化が進んだ時期であり、一面氷河で覆われていた氷河時代から雪や氷が解け、草原が広がり、日本海側を中心にブナやコナラ、クリのような落葉樹林が多く育つようになりました。現代と比べても、縄文時代の平均気温は+1~2℃ほどで少し暖かかったと考えられています。
実はこの温暖化による日本の森林環境の変化によって、それまで生息していたマンモスゾウやナウマンゾウ、オオツノジカ、トナカイなどの大型のほ乳動物が住みにくくなり、最終的には絶滅の一途をたどることとなるのです。この日本の生態系の変化については、この後の縄文時代の人々の暮らしで詳しくみていきます。
縄文時代の地形の変化
縄文時代の人々の暮らしについて説明する前に、もう一つ知っておいてほしいことが縄文時代の地形の変化です。
縄文時代は氷河期が終わった後の時代であることから、海水面の変動が多く引き起こされました。地球全体で温暖化になったことから、世界各地で雨が降り、海水面がずっと上昇していったのです。地域によっては海水面が100メートル以上上昇した(数百年かけて)ところもあるくらいです。
海水面の上昇は海岸線を内陸に広げるだけでなく、海につながる河川にも影響を及ぼします。川が氾濫し、平野が形成されたり台地がけずられて半島になったりしたのです。
このように、縄文時代は気候の変化だけでなく、地形の変化も激しかったことも頭に入れておいてください。
縄文時代の道具と人々の暮らし
前置きが長くなりましたが、縄文時代の単元において中学受験対策で最も重要なポイントをここでは説明しています。必ずキーワードを覚えて、入試で取りこぼしがないようにしてください。
縄文土器の発明
縄文時代を説明する際に切っても切り離せないのが「縄文土器」です。時代を表す名前となったくらい、縄文土器が発明されたことで人々の生活環境は劇的に変化しました。
まず、縄文土器がどのような土器なのかは中学受験でも頻出なので、次の3つの特徴は覚えておいてください。
- 縄目のもようがついている
- 色は黒褐色(くろかっしょく)
- 厚くて、もろい
縄文土器には表面に縄で模様が付けられています。縄文土器と言われているゆえんです。この模様は機能的な理由で付けられたのではなく、アート(芸術)として付けられたと考えられています。
当時は火力を出す技術がなかったことから、約500~800度くらいの低温で焼かれていたために縄文土器はもろくできています。また、薄すぎるとすぐに割れてしまうことから、なるべく厚くできているというのも大きな特徴です。
色は黒ずんだ褐色で、現代で言えばコーヒーのようなこげ茶色をしていました。これも低温で焼いたために出る特徴であり、この後に登場する薄くてもじょうぶな弥生土器は赤褐色をしていることも対比させて覚えましょう。
縄文土器が人々の食生活を改善する
そのようにまだまだ未発達な土器ですが、縄文土器が発明されたことで食べ物を貯蔵する(保存して蓄える)ことができるようになり、人々の寿命が延びたと考えられています。
縄文時代当時はまだ稲作も行われておらず、人々は狩猟や採集を中心としたその日暮らしの生活をしていました。その日にとれた獲物や食べ物はその日に食べつくしてしまっていたのです。
ところが、縄文土器が発明され、食べ物を安全な場所で保存することが可能となったことで、人々はたとえ食べ物が収穫できなかった日があっても、保存していた食料を食べて暮らすことができるようになったのです。
さらに縄文土器は人々の食生活をよりよくしていきます。土器は火にかけても大丈夫なので、これまで生食が多かった食事から煮炊きをして食べ物を調理することが可能となったのです。
これにより、これまでは食べることが難しかった食べ物も食べられるようになります。どんぐりや木の実など、生だと固くて食べられなかったものも、土器で煮たり炊いたりすることで食べることが可能となり、食事から得られる栄養も多くなったのです。
つまり、縄文土器が発明されたことで人々の食生活が改善し、得られる栄養価も高くなったので寿命が延びたというわけです。
縄文時代の人々の暮らし・食事
縄文土器によって生活環境が変化した縄文時代ですが、この頃はまだまだ生きていくための食べ物を探すことに精いっぱいで、人々はみな平等に仲間と協力し合って暮らしていました。小さな集団をつくり、集落の長老を中心にみんなで相談しながら共同生活を送っていました。
狩猟や採集中心の生活であり、石槍(やり)や石矢じりなどを使って集団で狩りを行い、けものや鳥などをとっていました。また、動物の骨やキバといった骨角器を釣り針(つりばり)や銛(もり)として使い、河や海で漁をして魚や貝、海そうなどをとって暮らしていました。
そして、打製石器だけでなく、石を磨いてつくった磨製石器も登場したことで生活が便利になり、旧石器時代と比べて文明が一歩進んだことというがわかります。
ここで、縄文時代の気候変化の話にもどりますが、森林環境が変わったことで大型のマンモスゾウやオオツノジカは絶滅していき、代わりに小型の動物が日本で多く生息するようになっていきます。そのため、人々の狩猟の対象も大型の動物から小型の動物へと変わっていったことも押さえてきましょう。
縄文時代の住居
縄文時代で重要なキーワードでもあるのが、「竪穴(式)住居」です。
竪穴式住居とは、地面を深さ50㎝ほど円形や四角形に堀り下げ、丸太の柱を立ててその上に草や木の葉を重ねて屋根にした家のことです。縄文時代から後の奈良時代まで、人々はこの竪穴式住居の家で暮らしました。
縄文時代の生活は狩猟や採集中心であったことから、竪穴式住居は狩りや漁がしやすいように水辺の少し小高い場所に多く建てられました。同じ場所に何十年と定住するのではなく、狩猟や採集の対象が少なくなると移動をして、また新しい場所で暮らすという生活様式が中心でした。
縄文時代の信仰
縄文時代は先ほどから述べているように狩猟や採集が生活の中心であったことから、天候にも大きく左右されていました。そのため、人々は自然の力をおそれ敬うようになり、太陽や月、風、山、川などを崇拝(すうはい)するようになります。
その象徴的なものが「土偶(どぐう)」です。
土偶とは土でできた約20㎝ほどの大きさの人形で、多くは女性のかたちをしていました。これは人々がおまじないの対象として作ったもので、魔除けであったり、食べ物が豊作になることや子どもが安産で生まれることを祈ったりするときに使用されました。
また、人々は死んだ人が再び生き返ることをおそれて、誰かが死んだときには手足を折り曲げて埋葬する「屈葬(くっそう)」を取り入れていました。
縄文時代の遺跡
縄文時代の遺跡①「大森貝塚」
縄文時代の遺跡で覚えておく必要があるのが「大森貝塚(おおもりかいづか)」です。現在の東京都にあり、1877年にアメリカ人の動物学者モースによって発見されました。
その当時は明治時代で、モースはアメリカから日本へやってきた次の日に、今の横浜から新橋へと向かう汽車の窓から大森貝塚を発見したといわれています。この発見により、縄文時代の研究が本格化していきます。
大森貝塚の発見によって、次の二つのことが分かりました。
- 当時の人々の食べ物、食生活
- 縄文時代の海岸線
貝塚とは、現代でいう集団ゴミ捨て場のようなもので、当時暮らしていた人々が食べ物のカスや生活のゴミを長年捨て続けたことで蓄積され、化石のようなかたちで現在まで残っているものです。
貝塚の多くは貝殻による炭酸カルシウムが多く含まれているため、物の保存状態がよく、食べ物のあとだけでなく当時使われていた道具なども見つかることが多い、貴重な資料でもあります。
また、貝塚は海岸の近くに作られるものであることから、縄文時代当時の海岸線を知ることも可能となります。現代とはまったく異なる場所にまで海があったことなどを知る手がかりとなるのです。
縄文時代の遺跡②「三内丸山遺跡」
縄文時代の遺跡でもう一つ覚えておく必要があるのが「三内丸山遺跡(さんないまるやま)」です。
三内丸山遺跡は現在の青森県にある竪穴式住居のあとです。この遺跡が重要な理由は次の2点です。
- 人々が定住していた証拠
- 他の地域と交流していた証拠
三内丸山遺跡が発見されるまで、縄文時代は移住生活がほとんどだと考えられていました。これまで述べてきたように、狩猟や採集が中心の生活であったため、その場所に食べ物がなくなるとすぐ移住すると考えられていました。
ところが、竪穴式住居という家を作って、一定期間は定住していることが三内丸山遺跡から分かったのです。これまでの常識をくつがえす発見であり、縄文時代の人々の暮らしを正確に知ることができるようになったのです。
さらに驚くべきことに、青森県にある三内丸山遺跡からは、北海道や新潟といった他の地域の別の集団とも交流があったことが分かっています。その地域でしか取れないような物を物々交換する交易のようなことが当時からなされていたことが判明しました。
中学受験は算数や国語ではなく、「社会」の出来で合否が決まります!
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縄文時代のまとめ
それでは最後に縄文時代の単元の重点ポイントのまとめをしていきます。
縄文時代のまとめとして、次の4つの項目をなにも見ずともキーワードや内容を言えるかどうか確認してみてください。
- 縄文時代の道具
- 縄文時代の生活
- 縄文時代の社会
- 縄文時代の遺跡
答えられない場合は、もう一度それぞれの見出しに戻って読み返して要点を押さえましょう。中学受験の重要ポイントは次のようになります。
縄文時代のまとめ
- 縄文時代の道具
・打製石器と磨製石器
・縄文土器…縄目で、黒褐色で、厚くてもろい - 縄文時代の生活
・竪穴式住居
・狩猟や採集中心 - 縄文時代の社会
・貧富の差がなく、みな平等
・土偶や屈葬…信仰心がある - 縄文時代の遺跡
・大森貝塚とモース
・三内丸山遺跡
重要ポイントは様々ありますが、どれもが縄文時代の人々の暮らしがどのようなものであったのかを具体的に知る手がかりでもあります。キーワード単体で覚えるのではなく、縄文時代がどのような生活がなされていたかを押さえたうえで、それぞれの具体例としてキーワードを覚えるようにすればより理解が深まるでしょう。
中学受験の歴史「縄文時代」の次の単元は「弥生時代」です。