中学受験 歴史 安土桃山時代の重点ポイントまとめ

中学受験 歴史 安土桃山時代

三英傑とよばれる日本史を代表する偉人が活躍したのが「安土桃山時代」です。

長きにわたる戦国時代に幕を下ろし、天下統一に向かってドラマティックなほどにこの時代を駆け抜けた織田信長、豊臣秀吉、そして次の時代の徳川家康。

日本人にとってはあまりにも有名で、今なお彼らに関連する史跡や文化財などが多く残されており、現代で生きるわたしたちの生活や文化に色濃く影響を与えていることは言うまでもありません。

その一方で彼らが数百年前に成し得た偉業の数々を詳しく説明できる人は少なく、「なんとなくすごい人だった」という認識を持つ大人が大半だというのも実際のところではないでしょうか。

とくに安土桃山時代は日本が近代史への第一歩を踏み出した時代としても重要ですが、前後が戦国時代と江戸時代とに挟まれているため、どのような時代だったのかはっきり覚えていないという中学受験生も多いと思います。

この記事では、中学受験の歴史「安土桃山時代」の重点ポイントについてまとめているので、中学入試でしっかり加点できるように、まずは織田信長と豊臣秀吉という人物を中心に学習していきましょう。

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一つ前の単元である「戦国時代」についておさらいしたい人はこちらの記事を参考にしてください。

安土桃山時代の重点ポイントをまとめると…

安土桃山時代のまとめ

  1. 安土桃山時代の始まりと終わり
    ・安土桃山時代の始まり…1573年(室町幕府の滅亡)
    ・安土桃山時代の終わり…1603年(江戸幕府の開始)
  2. 織田信長の政治
    ・楽市・楽座
    ・鉄砲とキリスト教
    ・南蛮貿易
  3. 豊臣秀吉の政治
    ・刀狩と太閤検地
    ・兵農分離
    ・朱印船貿易
    ・キリスト教の禁止
  4. 桃山文化
    ・天守閣と聚楽第
    ・千利休の茶道
    ・狩野永徳,山楽のふすま絵
    ・出雲の阿国の歌舞伎踊り
目次

安土桃山時代の年代

安土桃山時代の年代はいつからいつまで

安土桃山時代は室町時代後期や戦国時代とも重なっており、一見すると時代区分が曖昧なように思えますが、この時代は「織田信長と豊臣秀吉が中央政権を握っていた時代」と覚えておくと分かりやすいです。

安土とは織田信長がつくった安土城(あづち、現在の滋賀県)、桃山とは豊臣秀吉がつくった伏見城(ふしみ、現在の京都府、伏見周辺を桃山という)を指しており、これらを取って安土桃山時代と呼ばれています。

安土桃山時代の始まり

安土桃山時代はいつから始まったかというと、織田信長によって室町幕府の15代将軍であった足利義昭(あしかがよしあき)が京都から追放され、実質的に室町幕府がほろんだ年から始まります。これが1573年の出来事でした。

織田信長は1560年に桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)で駿河(現在の静岡県)の今川義元(いまがわよしもと)を破って急速に勢力を強め、その勢いのまま京都に上洛して室町幕府をほろぼしたのです。

その後、1575年には徳川家康と連合軍を組み、長篠の戦い(ながしののたたかい)武田勝頼(たけだかつより)を破り、1576年に現在の滋賀県の琵琶湖のほとり安土に、七重もの天守閣(てんしゅかく)を持つ安土城を築き、天下統一の道を歩み始めるのです。

安土桃山時代の終わり

安土桃山時代の終わりは分かりやすく、徳川家康が江戸に幕府を開いた1603年を指します。

豊臣秀吉がなくなった後、1600年に起こった関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)で石田三成(いしだみつなり)に勝利した徳川家康は、1603年に征夷大将軍となって、江戸幕府を開くこととなります。

長らく織田信長、そして豊臣秀吉とともに戦ってきた徳川家康がとうとう日本の実権を握ることとなり、世界的にも類をみない約200年間という長期にわたって平和が続く国のいしずえを築き始めるのです。

中学受験のポイント

  • 安土桃山時代の始まり…1573年(室町幕府の滅亡)
  • 安土桃山時代の終わり…1603年(江戸幕府の開始)

織田信長と南蛮文化

織田信長と鉄砲隊

織田信長の政治「楽市・楽座」

織田信長は桶狭間の戦い、長篠の戦いなど、その戦の強さばかりに目が向いてしまいがちですが、とくに織田信長がほかの戦国大名と比べて優れていたのが政治力でした。

織田信長がやった政治のなかで、中学受験でも頻出なのが楽市・楽座(らくいち・らくざ)とよばれる経済政策です。

楽市・楽座は、交通を整えて関所(せきしょ)を廃止し、座(ざ)という商工業者組合の特権をなくすことで、安土城下での商人たちの自由な商売を認めるというものです。

これに加えて、安土城下での商売の税金も免除したことで、各地から商人たちが集まるようになり、結果として城下町が繁栄し、織田信長の国が豊かになっていきました。

当時は関所での通行料や座からのまとまった税金が国としても大きな収入源であったことから、それらをあえてなくして、目先の利益ではなく将来の国の発展を考えた織田信長は、まさしく政治の才能に優れた武将だったのです。

鉄砲の伝来

安土桃山時代を語るうえで重要なのが、スペインやポルトガルといった南蛮(なんばん)とよばれるヨーロッパの国々との交流です。

1543年には、種子島(たねがしま,鹿児島にある)にポルトガル人を乗せた中国の船が嵐によって流れ着き、このときに初めて鉄砲(てっぽう)が日本に伝来することとなります。

当時の種子島の領主が鉄砲を購入し、家臣たちにその使い方や火薬の作り方を学ばせます。やがてそこから日本中に広がり、ついには日本の戦のありようまでも変えることとなります。

具体的には、それまでは弓矢や一騎打ちが戦いの中心となっていましたが、鉄砲を用いた集団戦法が取り入れられるようになり、守る側も鉄砲にそなえて城の壁を厚くしたり、深い堀で城の周りを囲ったりして、天守閣を持つ平城(ひらじろ)が多く造られるようになりました。なお、日本初の天守閣を持つ城こそが、織田信長の安土城です。

キリスト教の伝来

安土桃山時代でヨーロッパから伝わったもののなかで鉄砲と同じく重要なのがキリスト教です。

1549年、イエズス会の宣教師であったスペイン人フランシスコ=ザビエルによって、日本に初めてキリスト教が伝えられました。ザビエルはポルトガル人と間違えないように覚えておきましょう。

ザビエルははじめ鹿児島に上陸し、その後、平戸(ひらど,長崎)、山口、京都など西にむかって各地でキリスト教を伝えていきました。

ザビエルの来日以降、多くのキリスト教宣教師が来日することとなり、各地に教会をたて、さらには学校や病院といった社会事業にも力を尽くしたことで、信者の数はどんどん増えていきました。16年間でその数は約70万人にまで増えたとされています。

織田信長は当時勢力をもっていた仏教勢力を弾圧する一方で、キリスト教は手厚く保護し、京都や安土にも教会を建てさせています。当時最も力を強めていた織田信長に支持されたことで、キリスト教はますます日本各地に広まっていくのです。

やがて、キリスト教を保護することで貿易による利益を獲得しようと大名本人もキリスト教信者となるものが現れました。これがキリシタン大名とよばれます。

この南蛮人たちとの貿易は南蛮貿易とよばれ、当時の日本では珍しいものも多く、大名たちに多大な利益をもたらしました。輸入品と輸出品は中学受験でも重要なので覚えておきましょう。

  • 南蛮からの輸入品
    鉄砲・火薬・生糸・絹織物・時計・ガラス製品・香料・たばこ・かぼちゃ
  • 日本からの輸出品
    銀・銅・刀・漆器・蒔絵・海産物

本能寺の変

天下統一まであと少しとなっていた織田信長でしたが、中国地方の毛利氏を討とうとしていた途中、かの事件が起こります。

1582年、家臣であった明智光秀(あけちみつひで)の裏切りにあい、京都の本能寺(ほんのうじ)で織田信長は殺されてしまうのです。本能寺の変といいます。

このときの織田信長の年齢は47歳。豊臣秀吉が61歳、徳川家康は73歳まで生きたことを考えると、まさしくこれから天下統一を成し遂げようと野心に燃えていた矢先に起こった突然の出来事で、無念の死を遂げたと想像するのは難くありません。

豊臣秀吉と桃山文化

豊臣秀吉と大阪城・桃山文化

豊臣秀吉の天下統一

本能寺の変のあと、毛利氏を攻めていた羽柴秀吉(はしばひでよし,後の豊臣秀吉)はすぐさま引き返し、主君織田信長のかたきである明智光秀を京都の山崎で討ちます。

ですが、秀吉は織田家のあと取りではなかったため、このときはまだ織田信長の勢力をそのまま引き継ぐことにはなりませんでした。

織田信長には息子がいて、長男の織田信忠(のぶただ)は本能寺の変で戦死していましたが、次男の織田信雄(のぶかつ)、三男の織田信孝(のぶたか)は生きていました。

そのため、このままいくと信雄か信孝が織田家を継ぐことになるところでしたが、秀吉は戦死した長男信忠の子どもであった三法師(さんぼうし)を推薦することで、自身はその後見人として織田家を実質的に引き継ぐことに成功したのです。

こうして織田信長の正式な後継者となった秀吉は、1583年に大阪城を築いて天下統一への一歩を踏み出します。

1585年には関白(かんぱく)となり、名を豊臣秀吉と改め、ついには太政大臣となり、まさしく名実ともに天下人としての地位を築いていきます。

なお、幕府を新しく開くには源氏の血統を持つものだけに与えられる征夷大将軍になる必要があり、豊臣秀吉は百姓のこどもであったことからその権利がなく、関白の養子となることで朝廷から関白の地位を授かるのです。

そして四国・九州の大名たちを従えた後、1590年に小田原の北条氏をほろぼして、とうとう全国統一を成し遂げることとなりました。

豊臣秀吉の政治「太閤検地と刀狩」

豊臣秀吉が行った政治のなかで重要なのが太閤検地(たいこうけんち)です。

それまではバラバラだったものさしますを統一し、全国の田畑の面積やそこから収穫できる石高を検地帳に記録していきました。

これによって、農民たちは土地を耕す権利を公式に認められた一方で、その土地にしばられることとなり、年貢を国に納める義務がはっきりと示されることとなりました。

また、秀吉が行ったこととしてもう一つ有名なのが、1588年に出された刀狩令(かたながりれい)です。

これは一揆(いっき)を防ぐために、農民や町民、さらには寺社などから刀や鉄砲といった武器をすべて取り上げるというものです。

刀狩によって兵農分離(へいのうぶんり)が完成され、武士や農民の身分がはっきりと分けられることとなりました。

また、豊臣秀吉は織田信長と同じ楽市・楽座を行ったほか、金山や銀山といった鉱山を支配下に置いて貨幣をつくったこと、商人に朱印状(しゅいんじょう)を与えて東南アジアとの貿易を保護した朱印船貿易(しゅいんせん)も重要です。

さらに1587年には宣教師追放令を出してキリスト教を禁止したことも中学入試頻出なので押さえておきましょう。

豊臣秀吉の朝鮮出兵

日本全国を統一した後、豊臣秀吉は海外進出を考えます。

手始めに中国の明(みん)を攻めようとして朝鮮に協力を求めましたが、これを拒否されます。すると、秀吉は朝鮮を攻めるために出兵します。これが1592年、文禄の役(ぶんろくのえき)と呼ばれる1回目の朝鮮出兵です。

このとき秀吉の軍は一時は漢城(現在の韓国の首都ソウル)を占領するなど勢いに乗っていましたが、李舜臣(イスンシン)率いる水軍に反撃され、さらに明からの援軍も加わり、いったん休戦となりました。

その後、1597年に慶長の役(けいちょうのえき)で2回目の朝鮮出兵をしますが、1598年に秀吉が病でなくなったことで約7年間にもわたる無益な戦が終わることとなりました。

この朝鮮出兵によって日本各地の大名や人々に多くの負担を強いることとなり、結果的に豊臣家の勢力を大きく弱めることとなりました。

桃山文化

この時代の文化を桃山文化、もしくは安土・桃山文化といいます。特徴として、仏教ではなく南蛮文化が強く影響しており、力強く豪華な気風のある文化といえます。

まず、最も代表的なのが天守閣のある壮大な平城の数々です。大阪城や伏見城、姫路城などは現代でもその豪勢な様子が見られるので、ぜひとも見学することをおすすめします。

とくに、織田信長の家臣でもあった池田輝政(いけだてるまさ)の姫路城は別名が白鷺城(しらさぎじょう)とよばれ、真っ白で美しく世界遺産にも登録されています。

お城に並んで桃山文化の代表的な建築が聚楽第(じゅらくだい)です。これは秀吉が京都につくった邸宅で、豪華な書院造がとくに有名です。天皇を招くことで朝廷の力を自分のもののように示し、諸大名たちを統制するのに役立てられました。

豊臣秀吉と関係の深いものが、千利休(せんのりきゅう)によって完成された茶道です。秀吉は大の茶道好きで、千利休をことあるごとに大阪城や聚楽第に呼んでは茶会を開いていました。なかでも1587年に京都で開催された北野の大茶会は、10日間で茶席800に武士や農民など一般庶民も参加させたもので、とくに有名です。

美術の分野ではふすまや屏風(びょうぶ)に描かれたふすま絵(別名は障壁画)が代表的で、とくに狩野永徳(かのうえいとく)狩野山楽(さんらく)は覚えておきましょう。彼らは狩野派とよばれ、後にもふすま絵の分野でおおいに活躍することとなります。

芸能では出雲の阿国(いずものおくに)の歌舞伎踊り(かぶきおどり)が庶民の間で人気となり、後に歌舞伎として発展することとなります。

安土桃山時代のまとめ

それでは最後に安土桃山時代の単元の重点ポイントのまとめをしていきます。

安土桃山時代のまとめとして、次の3つの項目をなにも見ずとも出来事やその年号、関わりのある人物などを言えるかどうか確認してみてください。

  1. 安土桃山時代の始まりと終わり
  2. 織田信長の政治
  3. 豊臣秀吉の政治
  4. 桃山文化

答えられない場合は、もう一度それぞれの見出しに戻って読み返して要点を押さえましょう。中学受験の重要ポイントは次のようになります。

安土桃山時代のまとめ

  1. 安土桃山時代の始まりと終わり
    ・安土桃山時代の始まり…1573年(室町幕府の滅亡)
    ・安土桃山時代の終わり…1603年(江戸幕府の開始)
  2. 織田信長の政治
    ・楽市・楽座
    ・鉄砲とキリスト教
    ・南蛮貿易
  3. 豊臣秀吉の政治
    ・刀狩と太閤検地
    ・兵農分離
    ・朱印船貿易
    ・キリスト教の禁止
  4. 桃山文化
    ・天守閣と聚楽第
    ・千利休の茶道
    ・狩野永徳,山楽のふすま絵
    ・出雲の阿国の歌舞伎踊り
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中学受験は算数や国語ではなく、「社会」の出来で合否が決まります!
そのため、第一志望に合格したいのであれば、歴史を家庭学習でまず最初に固めるのが断トツの近道です!

● 算数の1点と社会の1点は、入試総合点で考えれば同じ1点
● 歴史は流れ・ポイントを効率良く学習すれば、すぐに得意教科にできます!

【たった30日で歴史の偏差値を上げたい方】

・歴史のポイント、入試に出る所だけを最速でCD学習したい受験生
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中学受験の歴史「安土桃山時代」の次の単元は「江戸時代」です。

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